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死んだ父のこと


先日89歳で亡くなった父の話で恐縮です。


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父は7人きょうだいの末っ子として長野県の某市で生を受けた。
甘えん坊のガキ大将で、友だちがいじめらるとどんな年上でもやっつけに行ったそうだ。

大学進学を機に上京して、卒業後に建築資材販売業を起業した。
東京オリンピック、高度成長期の中で揉まれながら頑張ったが、
膝の故障もあり廃業してサラリーマンになった。
社長から中途採用の身分になり相当な苦労をしたようだ。

そんな父は、正義感が強く、喧嘩っ早く、人情家で、末っ子の甘えん坊で、
案外気が弱く、そして家族にはとても優しかった。

一方、長男の僕は、気が弱くてトロかったからか、小学生の頃に毎日イジメを受けていた。
辛い学校での時間が終わり、帰りの下駄箱に靴が無くて探してから帰る日々。
先生からも無視された。当然勉強もしなかったので成績はほぼオール1 。
それでも親には叱られなかったが、休むことはあまり許してくれなかった。
悪いことをすると叩かれたこともある。

6年生のとき担任が「中学からは特殊学級に行くよう手配中」と言ってきた。
それを聞いた父は鬼のような顔になって学校に行き、担任に
「本当の知恵遅れか他の問題で成績が悪いのかも分からない奴は教師をやめろ!」
と怒鳴りつけた。
おかげで無事に普通の中学校に入ることができた。

父の怒りが嬉しく、また中学校では教師にも友だちにも恵まれたので、勉強が楽しくなり、
入学時の1学期に最下位だった成績がみるみる上がり、それなりに自信もついた。
高校もそこそこの学校に入れて、大学にもいった。

先日、父の葬式の喪主挨拶のときに突然そのことがフラッシュバックした。
涙が溢れ出し、しどろもどろになってしまった。

認知症で暴言を吐くようになってからも、家族や親類が「元気か?」と聞いた父。
ある日突然目に光が宿り、こう言い始めた。
「俺はな、末っ子だったから両親に可愛がられたが殴られもした。
俺がいつかあの世に行ったとき、死んだ父さんと母さんに『良く頑張ったな』
と褒めて貰いたくて、これまで曲がりなりにも頑張ってきたんだ。」

父が49日に彼岸に渡ったときに、きっと岸辺に、父さんと母さんと、
半年前に一足早く旅立った兄さんが出迎えてくれて
「おー、来たか。良く頑張ったなぁ。偉かったなぁ」と褒めて貰うに違いない。

長文になりすみません。


[ 2018/10/03 17:12 ] その他 | TB(-) | CM(8)

takeさん、色々とお疲れ様でした!
takeさんがそんな大変な小学生時代を送っていたなんて知りませんでした。
お父さんも立派な人だったんですね!父の熱い愛情により、今のtakeさんがいるんですね!
人にはひとりひとり色々なドラマが有りますね!
お父上のご冥福をお祈りいたすとともに、takeさんもまだまだこれから数々のドラマを
残されることを期待しています!友より。


[ 2018/10/04 17:28 ] [ 編集 ]

強運おやじさんへ

小学校の頃は何かと運も悪く(笑)、辛かったですが、不登校になることもなく、
何とか耐えることが出来ました。
あの頃の体験があるので、忍耐力と、人の気持ちが汲める(顔色を伺う?) ことが
ある程度出来るようになったのかな、と思います。
我が家もそれなりに色々とありましたが、父の存在も含め
恵まれた家庭環境だったと思います。
あ、そうそう、友人たちにも恵まれております! 感謝です!
[ 2018/10/04 18:05 ] [ 編集 ]

少し落ち着きましたか・・・

おはよう。しばらく忙しいと思いなにも書かなかったのです。
ある意味、無事に天国に行かれたと解釈してもいいなぁと思っています。
後10年もたてばお父上と同じような年齢になり、それなりの生き方になるし
この世ともおさらばするだろうと思って生きています(笑)
みんなそれぞれ自分の生き様があるからそれを感じるのもいいなぁと思っています。
敢えてお悔みを言わないのですが、「思い出」は大切にしておきたいですね。
精神的に余裕ができたらゆっくり会いましょう。そして一献交わすのもまたいいものですから。
[ 2018/10/05 07:20 ] [ 編集 ]

takeさん、色々とお疲れ様です。
一見便利で豊かそうに見えて、その実、人間や社会のあり方は
退化しているようにも思える現代から見ると、
お父様のヒストリーは時代背景もあってか、ダイナミックでしたねー。
先般94歳で亡くなった私の父も、10代で学徒動員でシベリアへ行き
たった21歳の陸軍将校として、極寒の収容所に抑留され一番最後に復員してきました。
世界の一隅であっても一生懸命に生きた者のヒストリーが、完結したという感慨を
持ちました。
もう20年もすれば、私たちの世代のヒストリーも順番に閉じていくわけですが、
その時胸中に何を思うのでしょうね。
[ 2018/10/05 09:34 ] [ 編集 ]

気まぐれpapaさんへ

毎日いろんなことを処理しなくてはならない毎日が続いていますが、
その分、確実に前に進んでいるとも言えますね。
ちょっと強張りが強くなっていて効率が悪いのですが。
いずれご一緒に一杯やれる日を、楽しみに頑張ります^_^
[ 2018/10/05 19:17 ] [ 編集 ]

Oyranさんへ

Oyranさんのお父上も苦労されたのですね。
しかもあのシベリアでの将校としての抑留は想像を絶する体験だったことでしょう。
戦中、戦後の日本を支えてきた方々はいまの平和な日本を作ってくれた訳ですから、心から感謝と敬意を表します。
この平和な日本でこれからも日々楽しく過ごしていきたいと思います。
[ 2018/10/05 19:32 ] [ 編集 ]

takeさん、お疲れ様でした。
お父様の生きてこられた戦中、戦後の時代の数々のご苦労は、
本当に大変で平和な現代社会に生きる私は何の苦労もしてない気がします。
平和の礎を築いてくださったお父様世代には、
心から感謝をして戦争をせずに次の世代へ繋いでいかなければと思います。
お父様の歴史が昭和4年生まれの父と重なる思いで拝読いたしました。
takeさんを守るお父様は正義感がありお優しい方だったのですね。
今頃、ご両親様やお兄様に会い褒めて頂いてますね。きっと。
素敵な思い出をご家族と振り返る時間はまだ先かもしれませんが、
忙しき日々、お体に気を付けて楽しみながらお過ごしください。
[ 2018/10/07 21:36 ] [ 編集 ]

ともぴーさんへ

父の世代は大変な時代だったと思いますが、
高度成長期はやり甲斐があったかもしれませんね。
配達のトラックで東京中を走っていました。
僕も度々同乗して、まだ跳ね橋だった勝鬨橋や東京タワーを助手席から見た記憶があります。
認知症や大腸の病気で苦しんだここ何年かの父を見ていて、健康寿命という言葉が僕の中で大きくなっています。
僕はピンピンコロリといきたいなぁと思います。
それまでは楽しく生きたいです。
[ 2018/10/08 03:12 ] [ 編集 ]

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